直居サビアンの神髄 ー <人間存在の謎を解くアストロロジーは直居サビアンだけです>

カテゴリ: 余白としての生徒との対話

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余白としての生徒との対話
プロット4 シンボルのこと2

***エドモンドジョーンズは、サビアンシンボルは古代のサビアンオカルトプラザーフットからの伝達と考えて、サビアンという命名したといいますが、それはどうお考えですか。ルディアーは、当時はそのことに関わりたくないと書いているようですが。

純正オカルトというものはハイラーキーと呼ばれる白色同朋団へのハートを捧げるような忠誠が求められます。ルディアーはその資質の人だったと思います。彼の家に行って強くそれを感じました。

しかしそうでない人がオカルトに接近すると自我オカルトになり、サイキズムになってしまいます。知らないうちに魔界の領分に接近してしまいます。死後界でのそうした者への処罰は、そうした人は知りませんがかなり厳しいものです。特に思想らしきものを流布した場合はハイラーキーの意向に反していれば裏切りと取られてしまいます。

人間はまだそうした法を知らないので勝手にやっていますが、基準は進化に役立つかどうかです。サビアンの習得者は優遇すると大師は言ってきましたが、古典はどうなのかと思いますね。古典に関する本を書いている人はほとんど蒸し返しで、自己の栄光を築こうとするのはまずいことです、死後においてですけど。

***死後界で困難に遭いたい人は多いと言いますね。占い世界そのものが危険ともいわれます。

ルディアーは、サビアンシンボルはそういうものではないと言いたかったのではないかと思います。それは大変正しい判断だと思います。クートフーミー大師の化身といわれたクリシュナムルティも、後に大師を否定したのもそれだと思います。

簡単に言えば、我々の思考だけを使うなということです。変な神秘主義はもっと歪曲の危険があります。ですからオカルトで自我をおかしくしている人にも学んでほしくはないですね、ますます偏屈ですが。(笑)

とても入り組んだ遺伝子的システムをだれかが作り、我々は最後にその解明をしなければならないのです。占いの頭脳ではちょっと無理かもしれません。そこを少し脱している人でも特定のテーマにつかまり、穴から出られなくなることが多いのです。いかに体系が大事かです。それには哲学的テーマが必要と思いますが。
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***しかしアストロロジーは時間軸のものであり、どうなるかという予知は根幹ではないのですか。 

もちろんそうですが。それだけではすぐ壁にぶつかります。誰の人生でも今日は倒産、夜逃げ、明日は重病、明後日は心中という人生はそうないですよ。(笑)

もちろんサビアンは古典のアスペクトだけのものより、どのエネルギーを使えばよいかとか、現象の心理的多様性を教えてくれるという面では先へ行っていて恩恵を与えますが、その背後にある生の目的が知られなければならないのです。

もしそれが分かればそれこそマンダラの最初の人間に関する宇宙が見えてきます。現時点ではそれは前世と今生の関係を直接知るのではなく、まだ言語の制約を受けます。それでも我々はそれを知り、次の生のテーマに進む瀬戸際にいるのです。

体系化された法則への理解が、本当は人類全体に必要不可欠なのです。

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余白としての生徒との対話
プロット4 シンボルのこと

***サビアンシンボルを知った駆け出しの占いマニアが、シンボルに幻惑されることはどう思うのですか。
 
本にも書きましたが、上の勢力はシンボルを優秀な透視家に伝え、ルディアーに解釈をやらせ、私に使い方を教えてきたのです。このラインは不動ですので、新たにシンボルを作ったり奇抜な解釈をしてみるより、ルディアーの解釈で当面は行くべきでしょう。シンボルの詩的ジャングルはどうでも取れるというところがありますので、注意すべきかもしれません。
 
***最初あなたも、現象との一致を必死に求めたのですね。
 
そうです。ルディアーには、自分はあなたの体系をフィールドワークに展開すると言った手前、本当に当たるのかということから調べ始めました。そうして驚嘆するほど当たることを確認してから体系を調べ始めたのですが、時間がたってから上の指導を得られるようになったのです。

その頃一番驚いたのは、企業研究で三井物産などは一度占領軍に解散させられるとシンボルが示していたことです。また聖者のケースでは、アーカシックを超越するから成就するというのは間違いで、成就はシンボルに指定されているからこそ起きるのだということも新しい認識でした。
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***つまり占いとしての卓越した優秀性がスタートだったということですね。
 
そうです。時間法則として当たらなければどうしようもないのですが、先に行けばその超越が必要になります。その時はシンボルの原点に戻るのかもしれません。
 
***どういうことですか。
 
サビアンシンボルはマークエドモンドジョーンズがエリスフィ―ラーという車椅子の女性透視家に、サンディエゴの公園で透視させたのが始まりですが、それはかなりの猛スピードで行なわれたようです。

今となっては高級勢力の介入は明らかなのですが、使う方の意識は古典に毒されていますから、その範囲におけるディグリーリーディングとしてしか捉えないと思います。それも多分予知法に限られるはずです。

しかしエドモンドジョーンズもルディアーも頭にあったのは、ネイタルの解明だったと思います。カリフォルニアのクロトナでジョーンズに出会ってアストロロジーの学習を勧められたルディアーは、すぐネイタルの解明がまるでできていないことに気づきます。

ジョーンズの狙いもそれだったのですが、解釈はできませんでした。ルディアーは最初は失敗したのですが、のちに辛苦の末に内部構造を見つけすばらしい体系を作りました。その業績はのちに人類が感謝しなければならないほどのことです。

それによって状況は一気に進展しましたが、これはシンボルをアストロロジーに適用すれば、という前提のことです。そのことがある限界を作ってしまうので、エリスフィ―ラーの透視したシンボルを深く瞑想することは大事です。結局最後はシンボルのビジョンに戻るというところはあるのかもしれません。

私はアストロロジカル マンダラに書いてある、ルディアーがジョーンズにサビアンシンボルのことを知らされ、ルディアーが早速エリスフィ―ラーに会いに行ったというところに感動するのです。そこに何かとても清澄なものが流れているような気がするのです。

あるいはフィ―ラーは白色同胞団に選ばれていたのだろうと思います。多分車椅子に乗って世の中の片隅でひっそり生きていたのでしょう。そこに高級界のエネルギーが流されたことを思うと、後世の占い好きがこれを当たるからといじくりまわすのは抵抗があります。

こんなことは幻想かもしれませんがサビアンというものは俗な占いの土壌から生まれたのではなく、あくまでもスピリチュアルな世界の子宮から生まれてきてということは、若い人に知っておいてほしいことです。我々はまだ粗野ですから、つい現象との一致だけ求めてしまうのですが、自己の波動を理解することはもっと大事かもしれません。

私は昔はサビアンシンボルの一般化に努力しているように言われたのですが、30年たってみるとあまり普通の人に学んでほしくないというように変化してしまいました。年をとって偏屈になったのでしょうけど(笑)、詩の分かる人に学んでほしいですね。

これは、詩人から詩人へのメッセージなのです。

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余白としての生徒との対話
プロット3 プロセスのこと2

***ルディアーをアストロロジーの歴史から見た場合どう位置付けますか。

なんといってもアストロロジカル マンダラでサビアンシンボルの解釈をしたことに尽きると思います。よく、彼を学ぶべきかと聞かれましたが、他の本が今必要かどうかは疑問があります。他の人の本にいい本があるかというと、それも疑問なのです。自分にとっては精々エバーティンのアスペクトブックぐらいです。つまり教化書はまるでないのです。

依然としてアランレオ系の検証されない理論を鵜呑みにしているところがあります。ところが以前の生徒たちは、まず古典をやっていないとサビアンは分からないという人が多かったのです。そこがこれからどうなるかです。

無駄な遠回りで一生を棒に振るケースは多々あるのですから、学ぶ道筋はとても大事です。ルディアー自身が、サビアンの解明を除けば、その遠回りをさせられたと思います。

アストロロジーは知的玩具、という言葉がどこかのサイトにありましたがその側面はあると思います。一般的にいえば、学ぶというのは予知法の技法が当たるかどうかが中心になります。それだけを繰り返してしまう。でもそれは基本的には事後検証に終始することに尽きることです。

その面白さは否定しませんが、私にとってルディアーはそうした姿勢に疑問を提示してくれたという意味では教師だったと思います。


***無限につづくホワイだと言っていたといいますからね。

他の人は誰も疑わなかったことがアストロロジーの歴史を停滞させたとはいえますが、そもそも本質として古典占星術はもしかすると無駄な知識かもしれないということもこの時代になれば考えなければなりません。

無駄な知識というのは人を愚かにするだけです。なぜそうなるかというと、視点がまるでない、当たるかどうかしかないということです。これらのことで結論的に言えるのは、当たるものを求めるならサビアンをやるしかないしそれ以上のものを求めるなら何を求めるかをまず確認しなければならないということでしょう。

ルディアーの本がそれを私に教えてくれたかということは、まったくなかったのです。それは時代が違いすぎるからです。

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***強烈に時代が違うということですね。

そうです。だから古いものは通用しないのです。細部にこだわれば重箱の隅を突くだけです。若い人は鵜呑み教師に幻惑されてはなりません。今一番必要な知識、は我々がこの変革の時期にどうなるかということと、我々の真実の霊魂とはだれかということだと思います。私の研究してきた体系以外にこれに答えることはできないでしょう。


***アストロロジーが何のために継続されていたかは、これから初めて明らかになるのですね。

他の方法、例えば霊能などでは知りえないのですから、今の時代こそ、このアストロロジーが必要です。状況のすべてを知的に把握していなければパニックになる恐れがあります。




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余白としての生徒との対話
プロット3 プロセスのこと
 
***昔ある研究家の人にアストロロジカル マンダラをプレゼントされたことがスタートだったのですね。
 
そうです。その人はいつか必ずこの本を必要とする人が出てくるという確信で2冊買ってあったそうです。そしてあなたがその人だ、と云われました。その時何とも言えない気持ちの良いエネルギーが来て至福を感じたのを覚えています。

これは詩で解明しようとしたのですと言われたのですが、当時は詩が好きなのに詩とは程遠い生活だったので、ンボルの詩を読めることがうれしかった。そのあとルディアーの家を訪ねた時に、同じエネルギーが流れているので驚きました。とても気持ちがよかった。

前の晩に行き方を確認しようとして電話したら、思いがけずルディアーが電話に出たのには興奮しました。まあ、大ファンの心理ですけど。(笑)
 
***ルディアーとはサビアンの話は出たのですか。
 
あまり出ませんでしたね。(笑) 自分があなたの研究を引き継ぐと言いましたが、うなずくだけでした。一筆書いてほしいとと頼んだら、この青年が激しいエネルギーの時代に平安に達することを祈る、と書いてくれました。

自分はこの者は弟子だと書いてほしかったのですが、あとで考えるとこちらの言葉のほうが愛があると思いました。私のオーラを見たのでしょう。ルディアーも徹底した求道者で―アーティストでもあったのですが、当時のオカルティストのドーリルの話になったら、それはどういう人物かと鋭く聞いてくるという具合で、スピリチァルなことのほうに興味がある感じでした。
 
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***やはりアストロロジーやサビアンは、終生の目的というより彼のプロセスであり社会的武装という側面があったのでしょうか。
 
あったのかもしれません。内面的な意味でも時間はどんどん変化しますからね。そのことで思い出すのは、六本木に住んでいた時マンダラを読みながら地下鉄に乗っていたら、前の席にいた外人の青年が立ち上がってきて、「あなたはルディアーを読んでいるのか、ルディアーはバハイで神智学徒ではない」と言ってきたことです。頭のいい人で、そのことには重要な意味がある、と言っていました。

バハイのアブドール・バハは改革回教のリーダーで、10年近くも大便所に幽閉されていて、そのあまりに苦しい環境でキリストの光を見たといわれる人です。ルディアーは晩年そのことを強く称賛していて、自己犠牲とキリストバイブレーションがすべてであると知って、知的オカルトの世界から身を引いたのではないかと考えたことがあります。

彼のオーラはいわゆるアストロロジャーのものではなかったと思います。光が出ていましたから。

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***縁起の法則は、教えれば一応の理解はできるのではないですか。知に対する希望は残っていると思いますが。
 
自我理解に留まりそうですね。それほどこの次元の同化力は強いのです。しかしわずかな可能性が、自分の前世という神秘世界の扉を開くのかもしれません。縁起の法則というより、そちらを優先したいですね。神秘としての自己を思い出すということです。

しかしその存在の神秘なるものは惑星として限定されていると思いますね。ここが大事かもしれません。


***具体的に説明してください。
 
月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星という星は、ある意味で運命論的視点で見たほうがよいでしょうね。しかしこの場合でもいろいろな加工が必要なのですが、統合度数を意識しつつ、4度取りで見ること、ネガティブ止めというものも参考にするということです。さらにサイドリアル、トロピカルの問題があります。必ず両方のチャートで見なければなりません。
 
***まずそこをクリアするということですね。
 
そうですね。最初は運命論的視点のほうがよいのですが、古典がいう年代論、惑星の配置はそれぞれの年代を現すというのは完璧に正しいのではないものの、ある程度符号するとしておいてください。

それと古典の宝ともいうべきアスペクトは重視しなければなりません。ここのつながりは、アスペクトという現象を経てサビアンの度数にいくということと、その在泊は統合度数側に行く可能性が高いということを意識するとよいでしょう。

この段階で人生の目的を把握するとすれば、統合度数のほうが良いといえるでしょう。統合度数は在泊度数を360度から引いたものですが、そちらに前世の潜在意識への回帰がある場合があるからではないかと思います。しかし絶対ではありません。他の方法で前世を調べたものと照合しなければなりませんから。
 
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***4度取りは必要なのですか。
 
いい質問ですね。サビアンで必要なのは必ずウエーブで捉えるということです。アグニヨガでは人生は滝のようにごうごうと前進するものだというフレーズがありますが、在泊点は現象のピークとして前後に変化するものと考えてください。その場合は前後7度動かす必要があります。
 
***ウエーブ的理解は進行法の場合でも大事なのですね。
 
エネルギーベルトのどの部分が自分にとっての救済なのかということを知ることで、多少の錬金術をかけられますからね。けれども基本的にはベルトの度数にネイタルの惑星の在泊基数が当たっている場合が特に強いと考えておくべきです。
 
***しかし複雑ですね。
 
いえ、もっと複雑になりますよ。(笑) このシステムを誰が作ったのかということを考えてください。私たちはその存在の意識をトレースしないと、この周期は完成しませんから複雑さについていける緻密さが要求されます。

その次は運命論という思考の解釈の限界をどう乗り切るかということです。それには一度運命を知らなければなりません。ルディアーは、ホロスコープは音楽の譜面のようなもので、それを演奏するのは我々人間なのだと言いましたが、現実化するのは人間なのです。

しかし、波動を受け取っているのは人間以外の存在です。これはカスタネダのグルであるドン・ファンに言わせれば、イーグルという不可解な空間ということになります。

その意味で惑星のもたらすエネルギーは我々人間の貢物のようなものです。けれどもそれだけだと人生はまるで意味のないものなのかもしれません。ロボットです。
 
***その通りに生きる必要はないということですか。進化すれば加工できても、今は無理だと思いすますが。たとえば月や水星のケースなどは、まだエゴが出来てないので圧倒的な力で侵入すると思います。そういう力に対してどうするのですか
 
エゴが出来てから加工すればいいではないですか。ネガティブなものを加工しないで、死ねばその波動を死後世界に持っていくのかもしれません。
 
***そうなれば死んでからも人生の苦しみを経験するのですか。
 
求道をしていればそんなことにはなりませんが、ただ生きただけの場合はその恐れもあります。一般の方でもひどい苦しみを味わった場合は赦免されるといわれます。

なぜならば、イーグルはこの周期の暗い部分の経験を放出のために求めるからで、その俳優に選ばれた人は感謝されるようです。逆転して至福に入る人も多いのです。ハイラーキーは涙は必ずぬぐう、と言っていますから。

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