700119

余白としての生徒との対話
プロット4 シンボルのこと2

***エドモンドジョーンズは、サビアンシンボルは古代のサビアンオカルトプラザーフットからの伝達と考えて、サビアンという命名したといいますが、それはどうお考えですか。ルディアーは、当時はそのことに関わりたくないと書いているようですが。

純正オカルトというものはハイラーキーと呼ばれる白色同朋団へのハートを捧げるような忠誠が求められます。ルディアーはその資質の人だったと思います。彼の家に行って強くそれを感じました。

しかしそうでない人がオカルトに接近すると自我オカルトになり、サイキズムになってしまいます。知らないうちに魔界の領分に接近してしまいます。死後界でのそうした者への処罰は、そうした人は知りませんがかなり厳しいものです。特に思想らしきものを流布した場合はハイラーキーの意向に反していれば裏切りと取られてしまいます。

人間はまだそうした法を知らないので勝手にやっていますが、基準は進化に役立つかどうかです。サビアンの習得者は優遇すると大師は言ってきましたが、古典はどうなのかと思いますね。古典に関する本を書いている人はほとんど蒸し返しで、自己の栄光を築こうとするのはまずいことです、死後においてですけど。

***死後界で困難に遭いたい人は多いと言いますね。占い世界そのものが危険ともいわれます。

ルディアーは、サビアンシンボルはそういうものではないと言いたかったのではないかと思います。それは大変正しい判断だと思います。クートフーミー大師の化身といわれたクリシュナムルティも、後に大師を否定したのもそれだと思います。

簡単に言えば、我々の思考だけを使うなということです。変な神秘主義はもっと歪曲の危険があります。ですからオカルトで自我をおかしくしている人にも学んでほしくはないですね、ますます偏屈ですが。(笑)

とても入り組んだ遺伝子的システムをだれかが作り、我々は最後にその解明をしなければならないのです。占いの頭脳ではちょっと無理かもしれません。そこを少し脱している人でも特定のテーマにつかまり、穴から出られなくなることが多いのです。いかに体系が大事かです。それには哲学的テーマが必要と思いますが。
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***しかしアストロロジーは時間軸のものであり、どうなるかという予知は根幹ではないのですか。 

もちろんそうですが。それだけではすぐ壁にぶつかります。誰の人生でも今日は倒産、夜逃げ、明日は重病、明後日は心中という人生はそうないですよ。(笑)

もちろんサビアンは古典のアスペクトだけのものより、どのエネルギーを使えばよいかとか、現象の心理的多様性を教えてくれるという面では先へ行っていて恩恵を与えますが、その背後にある生の目的が知られなければならないのです。

もしそれが分かればそれこそマンダラの最初の人間に関する宇宙が見えてきます。現時点ではそれは前世と今生の関係を直接知るのではなく、まだ言語の制約を受けます。それでも我々はそれを知り、次の生のテーマに進む瀬戸際にいるのです。

体系化された法則への理解が、本当は人類全体に必要不可欠なのです。