700145

余白としての生徒との対話
プロット4 シンボルのこと

***サビアンシンボルを知った駆け出しの占いマニアが、シンボルに幻惑されることはどう思うのですか。
 
本にも書きましたが、上の勢力はシンボルを優秀な透視家に伝え、ルディアーに解釈をやらせ、私に使い方を教えてきたのです。このラインは不動ですので、新たにシンボルを作ったり奇抜な解釈をしてみるより、ルディアーの解釈で当面は行くべきでしょう。シンボルの詩的ジャングルはどうでも取れるというところがありますので、注意すべきかもしれません。
 
***最初あなたも、現象との一致を必死に求めたのですね。
 
そうです。ルディアーには、自分はあなたの体系をフィールドワークに展開すると言った手前、本当に当たるのかということから調べ始めました。そうして驚嘆するほど当たることを確認してから体系を調べ始めたのですが、時間がたってから上の指導を得られるようになったのです。

その頃一番驚いたのは、企業研究で三井物産などは一度占領軍に解散させられるとシンボルが示していたことです。また聖者のケースでは、アーカシックを超越するから成就するというのは間違いで、成就はシンボルに指定されているからこそ起きるのだということも新しい認識でした。
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***つまり占いとしての卓越した優秀性がスタートだったということですね。
 
そうです。時間法則として当たらなければどうしようもないのですが、先に行けばその超越が必要になります。その時はシンボルの原点に戻るのかもしれません。
 
***どういうことですか。
 
サビアンシンボルはマークエドモンドジョーンズがエリスフィ―ラーという車椅子の女性透視家に、サンディエゴの公園で透視させたのが始まりですが、それはかなりの猛スピードで行なわれたようです。

今となっては高級勢力の介入は明らかなのですが、使う方の意識は古典に毒されていますから、その範囲におけるディグリーリーディングとしてしか捉えないと思います。それも多分予知法に限られるはずです。

しかしエドモンドジョーンズもルディアーも頭にあったのは、ネイタルの解明だったと思います。カリフォルニアのクロトナでジョーンズに出会ってアストロロジーの学習を勧められたルディアーは、すぐネイタルの解明がまるでできていないことに気づきます。

ジョーンズの狙いもそれだったのですが、解釈はできませんでした。ルディアーは最初は失敗したのですが、のちに辛苦の末に内部構造を見つけすばらしい体系を作りました。その業績はのちに人類が感謝しなければならないほどのことです。

それによって状況は一気に進展しましたが、これはシンボルをアストロロジーに適用すれば、という前提のことです。そのことがある限界を作ってしまうので、エリスフィ―ラーの透視したシンボルを深く瞑想することは大事です。結局最後はシンボルのビジョンに戻るというところはあるのかもしれません。

私はアストロロジカル マンダラに書いてある、ルディアーがジョーンズにサビアンシンボルのことを知らされ、ルディアーが早速エリスフィ―ラーに会いに行ったというところに感動するのです。そこに何かとても清澄なものが流れているような気がするのです。

あるいはフィ―ラーは白色同胞団に選ばれていたのだろうと思います。多分車椅子に乗って世の中の片隅でひっそり生きていたのでしょう。そこに高級界のエネルギーが流されたことを思うと、後世の占い好きがこれを当たるからといじくりまわすのは抵抗があります。

こんなことは幻想かもしれませんがサビアンというものは俗な占いの土壌から生まれたのではなく、あくまでもスピリチュアルな世界の子宮から生まれてきてということは、若い人に知っておいてほしいことです。我々はまだ粗野ですから、つい現象との一致だけ求めてしまうのですが、自己の波動を理解することはもっと大事かもしれません。

私は昔はサビアンシンボルの一般化に努力しているように言われたのですが、30年たってみるとあまり普通の人に学んでほしくないというように変化してしまいました。年をとって偏屈になったのでしょうけど(笑)、詩の分かる人に学んでほしいですね。

これは、詩人から詩人へのメッセージなのです。