直居サビアンの神髄 ー <人間存在の謎を解くアストロロジーは直居サビアンだけです>

2015年06月

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余白としての生徒との対話
プロット3 プロセスのこと2

***ルディアーをアストロロジーの歴史から見た場合どう位置付けますか。

なんといってもアストロロジカル マンダラでサビアンシンボルの解釈をしたことに尽きると思います。よく、彼を学ぶべきかと聞かれましたが、他の本が今必要かどうかは疑問があります。他の人の本にいい本があるかというと、それも疑問なのです。自分にとっては精々エバーティンのアスペクトブックぐらいです。つまり教化書はまるでないのです。

依然としてアランレオ系の検証されない理論を鵜呑みにしているところがあります。ところが以前の生徒たちは、まず古典をやっていないとサビアンは分からないという人が多かったのです。そこがこれからどうなるかです。

無駄な遠回りで一生を棒に振るケースは多々あるのですから、学ぶ道筋はとても大事です。ルディアー自身が、サビアンの解明を除けば、その遠回りをさせられたと思います。

アストロロジーは知的玩具、という言葉がどこかのサイトにありましたがその側面はあると思います。一般的にいえば、学ぶというのは予知法の技法が当たるかどうかが中心になります。それだけを繰り返してしまう。でもそれは基本的には事後検証に終始することに尽きることです。

その面白さは否定しませんが、私にとってルディアーはそうした姿勢に疑問を提示してくれたという意味では教師だったと思います。


***無限につづくホワイだと言っていたといいますからね。

他の人は誰も疑わなかったことがアストロロジーの歴史を停滞させたとはいえますが、そもそも本質として古典占星術はもしかすると無駄な知識かもしれないということもこの時代になれば考えなければなりません。

無駄な知識というのは人を愚かにするだけです。なぜそうなるかというと、視点がまるでない、当たるかどうかしかないということです。これらのことで結論的に言えるのは、当たるものを求めるならサビアンをやるしかないしそれ以上のものを求めるなら何を求めるかをまず確認しなければならないということでしょう。

ルディアーの本がそれを私に教えてくれたかということは、まったくなかったのです。それは時代が違いすぎるからです。

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***強烈に時代が違うということですね。

そうです。だから古いものは通用しないのです。細部にこだわれば重箱の隅を突くだけです。若い人は鵜呑み教師に幻惑されてはなりません。今一番必要な知識、は我々がこの変革の時期にどうなるかということと、我々の真実の霊魂とはだれかということだと思います。私の研究してきた体系以外にこれに答えることはできないでしょう。


***アストロロジーが何のために継続されていたかは、これから初めて明らかになるのですね。

他の方法、例えば霊能などでは知りえないのですから、今の時代こそ、このアストロロジーが必要です。状況のすべてを知的に把握していなければパニックになる恐れがあります。

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エリーズ9度

<テーマ> 社会的役割
<シンボル> 水晶を見つめる人

 
このシンボルの解釈は難しく、いきおいフィールドワークに頼らざるを得ない。この度数はグル、社会的な活躍、女性の場合は夫への精神的依存もしくは社会的願望になるこが多いが、それとここでの水晶と意味的な関連が見いだしにくい。水晶は先見能力や占いの意味にならないこともフィールドでは証明されている。

それとも我々にはまだ感知されていない意味があるのだろうか。深いところで類推すれば、アトランティスなどの過去の高度な文明への郷愁になるのだが、まだわからない。我々は失われた文明を思い出そうとしていると示唆しているのだろうか。



エリーズ10度

<テーマ> 転換と不安
<シンボル> 教師が伝統的イメージに象徴的形態を与える
 
象徴というのは抽象でもあろう。フィールドワークでは、この度数は不安や挫折、転換となりやすいが、特に不安が問題になる心理かもしれない。新意識の獲得のために天の勢力がエネルギーを入れてくるので、人はひたすら不安になり、恐れややトラウマを刺激し、ひどい時は魔に囚われることがある。

その時に何らかのグルや相談相手が必ず必要になることが多いことを考えると、人は最後まで教育されなければならないことを教えているといえそうだ。この度数を持つ場合、一人であることはむしろ害になる危険があろう。




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余白としての生徒との対話
プロット3 プロセスのこと
 
***昔ある研究家の人にアストロロジカル マンダラをプレゼントされたことがスタートだったのですね。
 
そうです。その人はいつか必ずこの本を必要とする人が出てくるという確信で2冊買ってあったそうです。そしてあなたがその人だ、と云われました。その時何とも言えない気持ちの良いエネルギーが来て至福を感じたのを覚えています。

これは詩で解明しようとしたのですと言われたのですが、当時は詩が好きなのに詩とは程遠い生活だったので、ンボルの詩を読めることがうれしかった。そのあとルディアーの家を訪ねた時に、同じエネルギーが流れているので驚きました。とても気持ちがよかった。

前の晩に行き方を確認しようとして電話したら、思いがけずルディアーが電話に出たのには興奮しました。まあ、大ファンの心理ですけど。(笑)
 
***ルディアーとはサビアンの話は出たのですか。
 
あまり出ませんでしたね。(笑) 自分があなたの研究を引き継ぐと言いましたが、うなずくだけでした。一筆書いてほしいとと頼んだら、この青年が激しいエネルギーの時代に平安に達することを祈る、と書いてくれました。

自分はこの者は弟子だと書いてほしかったのですが、あとで考えるとこちらの言葉のほうが愛があると思いました。私のオーラを見たのでしょう。ルディアーも徹底した求道者で―アーティストでもあったのですが、当時のオカルティストのドーリルの話になったら、それはどういう人物かと鋭く聞いてくるという具合で、スピリチァルなことのほうに興味がある感じでした。
 
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***やはりアストロロジーやサビアンは、終生の目的というより彼のプロセスであり社会的武装という側面があったのでしょうか。
 
あったのかもしれません。内面的な意味でも時間はどんどん変化しますからね。そのことで思い出すのは、六本木に住んでいた時マンダラを読みながら地下鉄に乗っていたら、前の席にいた外人の青年が立ち上がってきて、「あなたはルディアーを読んでいるのか、ルディアーはバハイで神智学徒ではない」と言ってきたことです。頭のいい人で、そのことには重要な意味がある、と言っていました。

バハイのアブドール・バハは改革回教のリーダーで、10年近くも大便所に幽閉されていて、そのあまりに苦しい環境でキリストの光を見たといわれる人です。ルディアーは晩年そのことを強く称賛していて、自己犠牲とキリストバイブレーションがすべてであると知って、知的オカルトの世界から身を引いたのではないかと考えたことがあります。

彼のオーラはいわゆるアストロロジャーのものではなかったと思います。光が出ていましたから。

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