直居サビアンの神髄 ー <人間存在の謎を解くアストロロジーは直居サビアンだけです>

2015年05月

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シンボルの解釈『究極のサビアン占星学』(魔女の家ブックス刊)を併読してください。

エリーズ7度

<テーマ> 別れもしくは悪への同化 心霊攻撃
<シンボル> 男が二つ領域で自己表現することに成功する
 
『究極のサビアン占星学』ではこの重要な度数を、「生殖機能を遺伝子操作で付与したことから始まる二元世界」としたが、まだ不明だ。7はブレークスルーの数字だが、始源のエリーズにおけるそれは、我々が二元の中で生きなければならないと宣告されているということなのか。

善悪、男女など根元的な二元世界は統合に反するので、いたずらに価値への傾斜を産み、戦い、別離、絶望、悪などの不幸をもたらす。現実という幻想界に強く引き込まれてしまう。さらに人によっては魔界のエネルギーに吸引される。

強いマインドは強いエゴであることも知らずに、それをパワーとして自己陶酔するか、逆に犠牲者にさせられる。エゴ同士がぶつかり合う世界、そこに生きなければならないのは不幸そのものなのだが、我々は自分の意見を言い、自己表現することを強制させられる。

そして戦いや悲劇、絶えざる心の葛藤と雑念、それが二つの領域といえるのかもしれない。さらなる分離への降下が起きて、その苦しさからこの度数の人は同一サインのキャプリコーン7度に向かおうとするが、それは多分できずに分裂した個を作ってしまう。

たとえばプライベートな自分、ソーシャルな自分という具合に。自己表現というのは、我々がそうした他者や環境に合わせて行なう虚構の演技ととれば、これは現代人の同化しすぎたペルソナを語ろうとしたと思える。

問題は、だれが我々の霊にこのような操作をしたのか、ということだ。その宇宙人たちもカリユガ期という周期が終われば去るといわれている。この度数の自己主張を超克できなかったエゴ人間を引き連れていくなら、この度数ほどの悲劇はない。次の戦いの惑星はさらに悲惨だからだ。
 
仏陀の言った「人生は苦である」という結語が、エリーズの始まりの総括かもしれない。高エネルギーによるよろこびが個的な価値を吹き飛ばすなら、この度数はそこに行くまでの関門と犠牲の意味をもつだろう。マインド世界の重圧。


エリーズ7度についての生徒との対話
 
***カーディナル7度はすべて同質とはリーディングできないのですね。
 
エリーズ7度は自我のシャドーになることがあります。その原因は6度の自己主張や頑固さ、欲望、争いがちになるかもしれませんね。キャンサー7度は霊能になりやすいのですが、エリーズ7度のエゴをどれだけ超克しているかによって内容は大分変わるでしょう。

リヴラ7度は慈悲のエネルギーですが、これが出ることは極少かもしれません。エリーズ7度に何か来ていても、またキャンサー7度に星があってもこれを使えるかどうかが鍵になります。
 
***カーディナルサインの中でエネルギーを移動させて使うことはできないのですか。
 
90度のスクエア構造ですから、使いまわすこともできると言いたいのですが、キャプリコーン7度はあまりに異質の高度さがありますので難しいようです。リヴラ7度までといえると思います。他に有力なスピリチュアル度数があるかどうかによっても変わるかも知れません。
 
***360度から引いた統合度数の場合はどうなのですか。
 
これはだいたい同じ意味になるようです。ミュータプル23度になりますが、霊能者を多く輩出する傾向があります。霊能に対して憧れている場合もあります。
 
***キャプリコーン7度は最高峰のエネルギーなのですか。
 
その一つですね。神との交流者でチャネラーや神秘家が多く出ます。そういう意味ではこの時代に活躍が期待されますが、カーディナル7度全体が魔界のプレッシャーを受けてしまうことは否定できないと言えます。
 
スクエア構造で解釈すべきか度数単独がよいのかという問題は、その両方が必要と考えてください。たとえばエリーズ7度の場合、潜在的指向性を分析する32度43分を+-すると、フィクスドサインの9度と10度が来ます。

このことはカーディナル7度の人全員が、深層において霊的至福を求めている意味になります。ただそのためには苦しみや絶望、悲しみが付随します。それらはカリユガのこの時代にはそれらを通して上昇するルールとなっています。

***それはかなり大事なことではないですか。そうであればカーディナルの始まりからとれば、すべての人間は霊的上昇を求めていることになります。カーディナル7度がそれを象徴するなら、人間の根源ともいえる度数ではないですか。

魔界と戦うことが我々人類に課せられたテーマだということです。それが今ここで起きていることです。
 
***ではエリーズ7度でも霊的に高いのですか。
 
どう使うかはその人の意識によります。それが創造です。本来この度数はアストラル界の戦士としての意味をもつのですが、意識が低ければ現実に同化し、利害損得、合理主義などの通俗になることもあります。マインドの思考力だけが優れていると、魔界側の戦士となって社会で成功してしまう―悲劇―にもなります。
 
***人間の最初の成長はこの7度まで来て、絶えず選択を迫られるのですね。
 
これはゲームです。ゲームの本質は選択にあると言えるのかもしれません。もし選択を拒否すれば、鬱という病にさせられるのではないですか。カーディナルの最後の7度のキャプリコーンの人格神との交流が最後の彼岸になっています。これは可能性でもあり、限界でもあります。


エリーズ8度

<テーマ> 守護と安定 保守
<シンボル> 大きな女性用の帽子に付いている飾りリボンが東風に吹かれて翻る
 
この度数は『究極のサビアン占星学』の解釈でほぼ完成しているので、そちらを参照してください。

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***縁起の法則は、教えれば一応の理解はできるのではないですか。知に対する希望は残っていると思いますが。
 
自我理解に留まりそうですね。それほどこの次元の同化力は強いのです。しかしわずかな可能性が、自分の前世という神秘世界の扉を開くのかもしれません。縁起の法則というより、そちらを優先したいですね。神秘としての自己を思い出すということです。

しかしその存在の神秘なるものは惑星として限定されていると思いますね。ここが大事かもしれません。


***具体的に説明してください。
 
月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星という星は、ある意味で運命論的視点で見たほうがよいでしょうね。しかしこの場合でもいろいろな加工が必要なのですが、統合度数を意識しつつ、4度取りで見ること、ネガティブ止めというものも参考にするということです。さらにサイドリアル、トロピカルの問題があります。必ず両方のチャートで見なければなりません。
 
***まずそこをクリアするということですね。
 
そうですね。最初は運命論的視点のほうがよいのですが、古典がいう年代論、惑星の配置はそれぞれの年代を現すというのは完璧に正しいのではないものの、ある程度符号するとしておいてください。

それと古典の宝ともいうべきアスペクトは重視しなければなりません。ここのつながりは、アスペクトという現象を経てサビアンの度数にいくということと、その在泊は統合度数側に行く可能性が高いということを意識するとよいでしょう。

この段階で人生の目的を把握するとすれば、統合度数のほうが良いといえるでしょう。統合度数は在泊度数を360度から引いたものですが、そちらに前世の潜在意識への回帰がある場合があるからではないかと思います。しかし絶対ではありません。他の方法で前世を調べたものと照合しなければなりませんから。
 
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***4度取りは必要なのですか。
 
いい質問ですね。サビアンで必要なのは必ずウエーブで捉えるということです。アグニヨガでは人生は滝のようにごうごうと前進するものだというフレーズがありますが、在泊点は現象のピークとして前後に変化するものと考えてください。その場合は前後7度動かす必要があります。
 
***ウエーブ的理解は進行法の場合でも大事なのですね。
 
エネルギーベルトのどの部分が自分にとっての救済なのかということを知ることで、多少の錬金術をかけられますからね。けれども基本的にはベルトの度数にネイタルの惑星の在泊基数が当たっている場合が特に強いと考えておくべきです。
 
***しかし複雑ですね。
 
いえ、もっと複雑になりますよ。(笑) このシステムを誰が作ったのかということを考えてください。私たちはその存在の意識をトレースしないと、この周期は完成しませんから複雑さについていける緻密さが要求されます。

その次は運命論という思考の解釈の限界をどう乗り切るかということです。それには一度運命を知らなければなりません。ルディアーは、ホロスコープは音楽の譜面のようなもので、それを演奏するのは我々人間なのだと言いましたが、現実化するのは人間なのです。

しかし、波動を受け取っているのは人間以外の存在です。これはカスタネダのグルであるドン・ファンに言わせれば、イーグルという不可解な空間ということになります。

その意味で惑星のもたらすエネルギーは我々人間の貢物のようなものです。けれどもそれだけだと人生はまるで意味のないものなのかもしれません。ロボットです。
 
***その通りに生きる必要はないということですか。進化すれば加工できても、今は無理だと思いすますが。たとえば月や水星のケースなどは、まだエゴが出来てないので圧倒的な力で侵入すると思います。そういう力に対してどうするのですか
 
エゴが出来てから加工すればいいではないですか。ネガティブなものを加工しないで、死ねばその波動を死後世界に持っていくのかもしれません。
 
***そうなれば死んでからも人生の苦しみを経験するのですか。
 
求道をしていればそんなことにはなりませんが、ただ生きただけの場合はその恐れもあります。一般の方でもひどい苦しみを味わった場合は赦免されるといわれます。

なぜならば、イーグルはこの周期の暗い部分の経験を放出のために求めるからで、その俳優に選ばれた人は感謝されるようです。逆転して至福に入る人も多いのです。ハイラーキーは涙は必ずぬぐう、と言っていますから。

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シンボルの解釈『究極のサビアン占星学』(魔女の家ブックス刊)を併読してください。

エリーズ5度

<テーマ> 自己浄化と反省
<シンボル> 翼のついた三角形
 
エリーズ1度から9度は、度数進行法と呼ばれている手法の原点となるものである。アングル、ノードを含むすべての惑星にこの度数進行法をプラスマイナスすると、現象を示す2度取りの在泊度数の変化とドラマが示されるが、エリーズの1度から9度はカリユガ期におけるどの人も同じような刷り込みを受けることを示す可能性があるのは興味深い。

たとえば1度は仏陀が言ったように、存在は苦であることになるし、2度は金銭や経済が生きるための主テーマになるという設定がうかが、事実その通りの現実がすべての人に用意されているという具合である。

しかし4度の愛情生活を経て、度数進行法では一応の知的達成と思わせるこの5度はやや謎めいている。前書『究極のサビアン占星学』では私は「天にはよろこびがあり、地には悲しみがある」と書いたがその思いは今も変わっていない。

なぜならこの度数ではあまりに浄化的なことを経験する人が多いからである。複雑なのはそれだけではない。サビアンシミュレーションをかけると、その人がどのような思考に到達するかが解明されるが、それは単なる当たるということより、すべての我々の思考は浄化であり処罰なのかという問いを投げかける。

それは一言でいうと分離存在の悲劇であるが、カリユガ期にはそのような個的思考力の優秀性は称賛される。しかしそれへの執着は意識の幻覚に騙されているだけで、どこかで厳しい厳しい雷鳴を受ける。個とは幻想そのものであるからだ。

その前提で霊的上昇を意味するとしか思えないこのシンボルのビジョンを思い浮かべると、言葉を失う思いである。


エリーズ6度

<テーマ> イメージの実現
<シンボル> 四角形の一辺が明るく照らされている

このシンボルに関しては『究極のサビアン占星学』の解釈を参照してほしいが、やや難解であるので追記しておこう。

前度数で、人はそれなりに自我思考を完成させ現実に立ち向かうことになるが、現されているのだろうか。人は分離強化である個性の確立をするしかないといっているのだろうか。その衝動は愛と野心に支えられる。

またこの度数の統合度数が家庭の幸福を示していることを考えると、せめてもの幸せは、三角が四角になることは人生を生きる苦痛となる。そのため人が追い込まれるのは、さらなる分離の強化である―とした場合、なぜここで「明るく照らされている」と、表仕事と家庭の安定と、ごく一般的な道をプラカードのように表示しているのか。
だがそれでは、なけなしの充足だ。それで生きるしかなかったのが今終わろうとしているカリユガと呼ばれる暗黒周期だったのだ。我々はサティアユガという四画すべてが照らされる時代に急速に向かっている。

その時が我々をつくった遺伝子操作の完成なのだ。このシンボルは途上の光か。それとも退行への警告か。

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余白としての生徒との対話
プロット2 縁起の法則と詩としてのサビアン
 
***あなたはこのサイトを衝動的に構成したいというのですが(笑)、それは体系はまとめきれないからか、それとも公開はまだしたくないということだからですか?
 
両方だと思いますが、実際は霊的テーマに満ち満ちていますので、後継者はまず見つからないということもあります。事実私自身がこのサビアンは何のためにあるのか考え続けてきたのです。それでも空間としての天は教え続けていて、まだそれは止まらないのです。どうしたらいいですか。(笑)
 
***でもあなたは30年以上も前にルディアーを訪れた時に、夕方嵐が来て縁起の法則を教えるから公開しなさいという神がかりになったのではないですか。(笑)
 
縁起の法を知らなかったので、仏教は決定的に壊滅退廃しましたね。魔界に擦り寄ったままです。それはもうすぐ明らかになるのですが、仏教だけではありません。人々は何かがあると考え方がよくないというタッチで批判したりしますが、それはこの周期が思考と自我の周期だったからです。

それは近々、悲惨な形で壊されてしまいます。それにどう対処するかといえば、エネルギーを上げるしかないのです。占いとしての古びた占星術をやっている者もその周辺にいる人たちも、強いエネルギー淘汰されます。そんな人と付き合っていれば巻き添えになりますので、壁を立てるわけではありませんが、旧来の占いファンと私は無縁です。

ではなぜサビアンをやるのかということですが、これだけやってきてサビアンの究極の魅力はエリス・フィラーという車椅子の美しい透視家の女性の見た詩のビジョンだと思います。詩だけが高次の次元につながるものです。それは伝えたいと思います。
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***シンボルのビジョンが自我の不安の世界を迂回するというのですか。
 
そうです。詩は霊体としてのアストラル体を浄化するからです。ですから、まず学びたい人は自分の度数のシンボルをイメージ化してほしいと思います。
 
***それが最後に行きついた地点ということは理解できますが、それでは縁起の法則はどうなりますか。
 
解明はそれなりにしたつもりですが、それを学ぶとなると妄想ぎりぎりのアストラル世界で理性を保つという離れ業が必要になります。そういう人材は見つからないのです。

理性的秩序のもとに人のアストラル体をサビアンで透視すること、特に輪廻における化身の変化の意味を考えるのは普通より高い霊能力が求められます。つまり縁起の法は文字だけでは把握はできないのです。

一般の前世こうだっただろうという類のものは間違いだらけです。アーカシックとしてのサビアンだけがそれを知っているのです。前世を知らなければこの生の意味は知り得ず、何が何だかわからないうちに終わってしまいます。それではあまりに無残です。

けれども残念なことに、人の知性はそこまで達していません。ですから学ぶ人はいないのです。

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シンボルの解釈『究極のサビアン占星学』(魔女の家ブックス刊)を併読してください。
 
エリーズ3度

<テーマ> アイデンティティの確立
<シンボル> 男の横顔を施したカメオが自国の状態を示す

前度数からの流れでいえば、宇宙の存在であった我々は狭い民族、それぞれの社会の存在になり果て、そのアイデンティティに生きる。霊は形骸化する。それが我々のよろこびであり、戦いの動機になる。

よほどの霊化の努力をしないと宇宙で生き残るのが難しい人種かもしれない。人間そのものが、反キリストの衝動ともいえる。キリストの顔を彫らずに、つまらない平凡な人間の顔を彫って相互慰撫をしたがる―社会とは愚者の祭典なのか。このシンボルはそれを突きつけている。

それともそうしたものに幼児は最初から拘束される、と教えているのか。幼児がたちまち受験社会に巻き込まれるのだから、それもそうだろう。カメオは天然石の自然を失い、人間の思考に犯されているように映る。

誰も自然には生きられないような遺伝子です、と宣言されている度数だ。


エリーズ4度

<テーマ> 性愛もしくはグループへの同化
<シンボル> 恋人たちが人目にふれない散歩道を歩んでいる

この度数のことでかつて私は『究極のサビアン占星学』で、「タロットの恋人」の解釈として、「魂は別れ道に来て地獄に通じる左の道か、幸せに行く右の道のどちらかを選ばなければならない、恋人とは常に我々の意識の闇の救世主か屠殺人である」と書いた。

シンボルの訳としては、「人目に触れない」というのはむしろ「秘密の」と訳すべきかもしれない。その訳を取れば、この度数は深層意識における欲望や願望に関わると結論すべきかもしれない。あるいは渇愛だ。

この度数はすべての性的指向性―普通の不倫からSM、ホモ、レズなどと趣味的グループへの同化を360度の中で一手に引き受けている。そうした現象的当たり方もさることながら、その深層部分のほうが面白い。

それを知るためには我々がサビアンシミュレーションという方法で調査するとよい。この度数の4を+-して、アングル、ノードを含んで全惑星を調べるのだが、アングルの場合はなぜこのような親を選択したか、ノードは霊体の闇か光のようなものが示される。

男女関係や性愛の隠されたリビドー傾向を調べる場合は金星、火星だが、シンボルはそうした性愛がもたらす現象なり、異常性欲が示されるのではないようだ。それを調査するのはネイタルのアスペクトになるのだが、ほとんど正確ではない。なぜなのかと思うが、そのことは別の機会に検討しよう。

4度におけるシミュレーションの冥王星、海王星では隠された霊のテーマが示され、太陽、天王星ではエゴの願望や意志が解明されることがあるが、冥王星はあまりに重要であろう。この度数のもつリビドー的な側面を超えて、ほとんど神の命令と感じることがある。

問題はトロピカルが正しいか、サイドリアルが正しいかだがそれは深く掘り下げて自分で洞察しなければならない。その探索が貴重な度数である。この度数のシミュレーションが個人の愛情生活を示唆するのなら、運命はすべて決められているのか、と思わせる。

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